筋山 (約65m)
すじやま
もともとは山の麓や中腹の遺構を中心とした公園として利用していたようですが、訪れる人も減りホームレースが住み着くようになり、防犯上のことも考慮してつい最近公園の周囲を自治体が高いフェンスで囲んだようです。
そこでフェンスのとぎれた山の北側から取り付くことにして車道を山に沿って歩くと左にロープがはられた広い空き地がありました。ここをよく調べると左奥に山への踏み跡があります。これに入ると良く歩かれている山道がありこれを歩いてみると西側の住宅地に出ました。地元の方が使う抜け道のようです。少し戻り、左上の山頂に向けて歩き易い雑木の斜面を登ります。するとまあた別の山道に出ました。これをトレースするとまた西の住宅地へ向かい出したので左折して適当に雑木の中を登ります。歩き易い方に登り続けるとひとつのピークに出ましたが遺構はありません。そこで一旦少し戻り、右へ分かれる尾根筋を歩いてみました。途中、倒木がひどく少し斜面を下って巻き、歩き易い所からシダの斜面を登ると明らかに人工的に作られた土手が上に見えてきました。これに登るとそこは深さ1.5m、直径10m以上の土で作られた丸い砲台跡のような場所で反対側に出入り口があります。この塹壕の淵を入口の方へ歩くと、その下の斜面には溝状の通路(?)や深い長方形の塹壕が深い落ち葉に埋もれてひっそりたたずんでいました。この斜面を下った下にコンクリート製の遺構が数多くありそこが筋山公園と呼ばれていた所のようです。この砲台跡を山頂として下山する事にしました。登るときに途中で出会った山道を下ってみると最初に取り付いた空き地の車道に近い所に出ました。
下山後、まだ彦島には登る予定の山がいくつかありましたが次回に回してこの日の山行を終えました。1日で17座登れ、いつも海を感じることができる今日の山々はとても新鮮で満足の1日となりました。
<筋山砲台>
1888年着工、翌年完成。6門編成の砲台。隣接する田の首砲台(陸軍山)、さらに老の山砲台は、海底電線を通じて壇之浦の要塞司令部と連絡した。尚、田の首、筋山砲台は1920年、要塞整理によって廃止された。
(原書房「日本築城史」より)
この空き地から山へ
空き地の左奥に踏み跡がありました
山中では明確です
山頂の遺構
山頂周辺に遺構があります